那由多の映画ブログ

映画レビューや映画についてのちょっとしたネタを書きます

映画人 黒澤明が一生の師と仰いだ 山本嘉次郎

こんにちは。

那由多です。

 

今回は黒澤明監督が若い頃に出会い、一生の師と仰ぐようになった『山本嘉次郎(やまもとかじろう)』監督です。

 

この監督が作った作品で現在でも特集されるものはあまりありません。

 

無声映画の時代の監督さんなので現代で日の目を見るのは難しいと思います。

 

この監督の作品には「吾輩は猫である」があります。

 

夏目漱石の作品ですね。

 

吾輩は猫である」は今まで2回映画化されていて、そのうちの1回を山本嘉次郎監督が描いています。

 

黒澤明監督が山本嘉次郎監督を一生の師と仰いだきっかけは

黒澤明監督と山本嘉次郎監督の年齢差は8歳です。

 

山本嘉次郎監督の方が年長です。

 

山本嘉次郎監督を一生の師と仰いだきっかけについては黒澤明監督の著書の『蝦蟇の油 自伝のようなもの』に書いてあります。

 

黒澤明監督が初めて書いた脚本を山本嘉次郎監督に見てもらう機会がありました。

 

内容は江戸時代の不良グループを描いた物語です。

 

物語中に主人公が江戸城の前に立てられた立て札を読んで仲間に伝えるというシーンがありました。

 

黒澤明監督は普通に主人公に喋らせて状況を説明する脚本を書きましたが、山本嘉次郎監督は「小説ならこれでいいけど、映画にはならないよ」と言いました。

 

そして山本嘉次郎監督は主人公に立て札を読んだあとに無言で立て札を引っこ抜かせ、仲間の所に持って行って見せるというストーリーに書きかえました。

 

これならセリフはいらず、勝手に立て札を引っこ抜くことで不良であることも伝わります。

 

映像がある映画ならではの改編です。

 

この改編を目の当たりにした時に「この人に一生ついていこう」と黒澤明監督は思いました。

 

のちに黒澤明監督が様々な賞を受賞した経緯を見るとすごい人に弟子入りしたということと、黒澤明監督の慧眼にも驚きます。

 

山本嘉次郎監督の作品もぜひ観てみてください。

映画人の紹介 世界に大きな影響を与えた三船敏郎

こんにちは。

那由多です。

 

今回は映画人の紹介の回です。

 

以前、黒澤明監督をご紹介しましたが三船敏郎さんは黒澤明監督の作品に15本も出演しています。

 

黒澤明監督は生涯で30本の映画を作りました。

 

その半分の作品に出演した三船敏郎さんは、黒澤明監督の作品によって世界でも有名な俳優さんになりました。

 

そんな三船敏郎さんは元々俳優志望ではなかったようです。

 

第二次世界大戦中に三船敏郎さんは写真を撮って、それをつなぎ合わせて敵地の地図を作る兵士として従軍します。

 

戦後にはこの経験を活かして東宝ニューフェイスのカメラマンになろうとします。

 

しかし撮影部には空きがなく、仕方なく俳優の試験を受けて俳優として所属し、撮影部に空きができたら潜り込むつもりでいたようです。

 

ここから俳優・三船敏郎が始まり、世界にはばたくわけですね。

 

日本よりも海外での評価が高かった三船敏郎

三船敏郎さんの逸話を調べると俳優仲間からの高い評価に触れることができます。

 

しかし海外からの評価が非常に高いことも感じ取れると思います。

 

これは黒澤明監督の作品にたくさん出演したことと、当時の機器が原因かもしれません。

 

というのも、黒澤明監督はここぞという時にはいきなり撮影を始めるようです。

 

その時は音声さんの準備がまだできていない場合もあったようです。

 

さらに当時の音響機器は質が低く、よくセリフが聞こえないこともあります。

 

海外ではちゃんと字幕があったので内容がわかりますが、日本人向けには字幕はなく、そして内容が聞き取れなくてわからないから海外の評価が高かったという説です。

 

もったいなさすぎですね。

 

ちなみにスティーブン・スピルバーグ監督やジョージ・ルーカス監督、俳優のアラン・ドロンさん、革命家のチェ・ゲバラさんなど三船敏郎さんを高く評価している人は大勢います。

 

三船敏郎さんが1997年12月24日に亡くなった際はフランスやイタリアのニュース番組でも取り上げられ、アメリカのタイム誌でも大きく取り上げられました。

 

日本の俳優が亡くなった際に海外の報道機関に大きく取り上げられたのは、三船敏郎さんが初めてだったようです。

 

ちなみに1957年の黒澤明監督作品の「蜘蛛巣城」では三船敏郎さんに向かってとんでもない量の矢を打ち込んでいます。

 

三船敏郎さんには当たらなかったものの、本当に死ぬかと思ったようで黒澤明監督に本気で怒ったようです。

 

ここで亡くなっていたら「世界のミフネ」にはなっていなかったのでよかったですね。

 

ということで三船敏郎さんが出演した作品も観てみてください。

これぞヒット作の続編という感じの『カイジ2 人生奪回ゲーム』

こんにちは。

那由多です。

 

今回は前回に引き続き『カイジ』の映画のレビューです。

 

前回は映画第一弾の『カイジ 人生逆転ゲーム』のレビューをしました。

 

今回は映画第二弾の『カイジ2 人生奪回ゲーム』です。

 

この映画は続編ということで第一弾を観た方が対象の内容となっています。

 

昔ライバルだった人物が仲間になる熱い展開

映画が始まると前回の映画で脱出した、地下帝国建設現場にまたカイジは落とされていました。

 

そして地下で使用できる通貨のペリカを使って2週間だけ地上に出られるチャンスを掴みます。

 

その2週間で地上でお金を作って、地下で労働をしている仲間を助けるという内容です。

 

カイジは賭博で戦う漫画ですが、バトル物の漫画では昔の強敵が後々改心し主人公と共闘するという熱い展開があります。

 

カイジ2 人生奪回ゲーム』では『カイジ 人生逆転ゲーム』で最大のライバルだった「利根川」が落ちぶれ、利根川もお金が必要になり、カイジと共闘します。

 

ただ、真面目なバトル物と比べると少しコミカルで笑ってしまう部分もあります。

 

そして今回のメインの賭博は「パチンコ」です。

 

このパチンコはとても規模が大きく、一気に数千万円を飲み込みます。

 

そして挑戦する人がいればその都度積立金が重なり、大当たりが出た時にリターンがとても大きくなります。

 

これは宝くじのキャリーオーバーやカジノのスロットのジャックポットのような仕組みですね。

 

この映画では10億円以上も積み立てられていました。

 

これによってお金を得て、カイジは地下の仲間を救おうとします。

 

このパチンコはまるで遊園地にあるアトラクションのような大きさで現実離れしています。

 

パチンコを普段する人はもちろん、やらない人もなんとなく見るとワクワクすると思います。

 

ぜひ映画を観てみてください。

漫画の実写化で当たった映画『カイジ 人生逆転ゲーム』

こんにちは。

那由多です。

 

今回は『カイジ 人生逆転ゲーム』をレビューします。

 

この映画は漫画の『賭博黙示録 カイジ』を映画化したものです。

 

日本の漫画を映画化する時は結構な確率で失敗すると個人的には思っているのですが、この作品はヒットしたと思います。

 

カイジ 人生逆転ゲーム』はコミカルでテンポがいい

カイジ 人生逆転ゲーム』はすごくテンポが良く、内容が分かりやすいのがうまくいった原因かなと思います。

 

元々の漫画に「賭博黙示録」という言葉がある通り、物語に登場する人物がギャンブルを行います。

 

ギャンブルがテーマの作品は読者の予想を超えるトリックやイカサマが物語の面白さを作ります。

 

しかしあまりに高度だとわかりやすく内容を伝えることができず、見ている人の何割かは「難しい」という感想になって離れてしまいます。

 

ギャンブルというテーマの作品はこういった所が難しいところだと思います。

 

ただ『カイジ 人生逆転ゲーム』はギャンブルの内容はとても分かりやすいカードゲームで心理描写を丁寧に描いています。

 

その心理描写を名優たちが表現力豊かに演じます。

 

こういった要素が嚙み合ってヒットしたのかなと思います。

 

特に力のある俳優さんが集まっているのは映画がヒットした大きな要因です。

 

ギャンブルの作品は映画やアニメ、漫画ではジャンルとして確立していますが、ギャンブル小説はジャンルとしては確立していないと感じます。

 

これは上記の理由で、視覚的に見えないと理解が追いつかず、難解なストーリーになってしまうからだと思います。

 

なので表現力がある俳優さんが演じることで作品の魅力が倍増して視聴者に伝わったんですね。

 

この映画を観る場合は俳優さんの表情や声音、仕草などに注目して観てみてください。

映画人『勝新太郎』さんについて

こんにちは。

那由多です。

 

前々回、黒澤明監督について取り上げましたが、今回は『勝新太郎(かつしんたろう)』さんについて取り上げます。

 

この方はエピソードが今でも多く確認でき、それぞれのエピソードがとても破天荒です。

 

動画で、生前の勝新太郎さんの姿を今でも見ることもできます。

 

しかし、その動画は晩年の勝新太郎さんが色々な問題を起こした際の記者会見のものだったりします。

 

例えば、ある記者会見では自身が癌に侵されお酒も煙草もお医者さんから禁止されていました。

 

そして煙草について質問されると、「煙草は吸いたくなくなっちゃった」と言いながら煙草を用意させその場で吸って見せます。

 

記者に追及されると「会見時間が長いので」とスタッフが弁明し、勝新太郎さん本人は「やめた やめた」と言います。

 

さらにお酒に関して質問されると「お酒はビールが旨いんだよな」と返答。

 

そして「どう旨いかっていうとオレンジジュースみたいな感じ」「味が変わった」と返答します。

 

記者に「飲むのは医者に禁止されてますよね?」と質問されると、「オレンジジュースだから」と返答します。

 

もちろん会見場は笑いに包まれてますが、これを動画で見ると「やばい人だ」と感じますよね。

 

勝新太郎さんのエピソードの数々

では僕が好きな勝新太郎さんのエピソードを挙げていきます。

 

ただ僕もリアルタイムで見られた年代ではないのでニュアンスが微妙に違っているかもしれません。

 

勝新太郎さんはとにかく豪快に遊ぶ人でスタッフを引き連れて宴会をして勘定は全て勝新太郎さんが払うということも多かったようです。

 

女遊びもしたとは思うのですが、とても愛妻家でした。

 

勝新太郎さんの奥さんは『中村玉緒(なかむらたまお)』さんです。

 

中村玉緒さんには直接は言っていませんでしたが勝新太郎さんは「中村玉緒勝新太郎がいなくても存在できる。勝新太郎中村玉緒がいないと存在できない」と言っていたようです。

 

そんな中村玉緒さんがある日高熱を出しました。

 

勝新太郎さんは中村玉緒さんが俳優の『渡哲也(わたりてつや)』さんが好きだったことを思い出し、銀座のお店で渡哲也さんが飲んでいそうな場所をしらみつぶしに探します。

 

スマホがない時代です。

 

渡哲也さんを見つけるといきなり土下座をし、中村玉緒さんのために歌を歌って欲しいと頼みます。

 

渡哲也さんは快諾してお店から中村玉緒さんに電話をしてその場で歌を歌ったというエピソードがあります。

 

普段は豪快な人なのに大切な人のためなら簡単に頭を下げられる人はかっこいいですね。

 

またマスコミに対してはどんなに悪く書かれても対応していたようです。

 

それどころか「ああいう書き方をして部数は伸びたか?」と聞いてくるようです。

 

その質問に「伸びました」と答えると嬉しそうに「そうかい」と答えるようです。

 

逆に「伸びませんでした」と答えると「それじゃあ書くなよ馬鹿野郎」となります。

 

勝新太郎さんは「主役は悪役だからこそ話題になる。」という考え方だったようです。

 

悪く書いてきたマスコミに対して喜ぶ姿を見せたら、その記者は勝新太郎さんの器を測りかねて飲まれる結果になったと思います。

 

またこういった考え方から、冒頭で紹介した記者会見でのワンシーンは勝新太郎さんのパフォーマンスでした。

 

煙草をおもむろに出して火をつけますが肺までは入れずにふかしただけです。

 

自らが癌に侵され、記者会見の7ヵ月後に亡くなってしまいますが、その差し迫った状況でマスコミを集めてサービス精神全開の記者会見を行っていたわけです。

 

こんな人は中々いないと思います。

 

記者会見の動画は何も前提知識がないと「ヤバい人」「これだから昭和は…」と感じるかもしれませんがちゃんと調べるとすごいことをしています。

 

というわけで勝新太郎さんの作品もぜひ観てみてください。

映画は絶版!ゲームは神作の『スウィートホーム』

こんにちは。

那由多です。

 

今回はホラー映画の『スウィートホーム』のゲーム実況の動画を観たのでご紹介します。

 

映画『スウィートホーム』は1989年に公開されています。

 

当然リアルタイムでは観れていません。

 

そして最近ゲーム実況で知り、映画も観てみようと探してみたのですが、公開後に著作権を巡って裁判になり、公開できなくなったようです。

 

この裁判はレンタルするためのビデオの権利について争ったようで、ビデオというだけで時代を感じますね。

 

映画としての『スウィートホーム

映画の『スウィートホーム』は伊丹十三さんが総指揮をとって制作されています。

 

伊丹十三さんはあの世の世界などを研究していた方なのでホラー映画にはこだわりがあったと思います。

 

内容としては、あるフレスコ画家が住んでいた現在は無人となった屋敷に取材にきた取材陣がおり、その取材陣に対して画家の妻の霊が襲って来るというものです。

 

この妻の霊は生前、子供を不慮の事故で亡くし、ショックのあまり近所の子供に危害を加え、自ら命を絶ちました。

 

ホラー映画なのに『スウィートホーム』という題名でギャップがあるのはフレスコ画家として成功し、幸せな生活をするはずだった夫婦の屋敷だったという意味のようです。

 

取材陣の1人の娘がこの屋敷で画家の妻の霊に攫われ、娘を救うために屋敷の中を探索します。

 

現在では絶版となってしまっているので観てみたかったですね。

 

ゲームとしての『スウィートホーム

ゲームの『スウィートホーム』は今ではバイオハザードなど有名な代表作を持つ「カプコン」によって制作されました。

 

ハードはファミコンですがめちゃくちゃ作りが良く、荒い画質にも関わらず恐怖を感じられるのはすごいです。

 

特に山村という老人が霊の攻撃を受けて体が溶けていくシーンは映画でもあるようですが、ゲームのドット絵でも迫力がありました。

 

そしてマルチエンディング方式を採用しており、映画では被害者は2名だったのですが、全員生存ルートも出来ますし、逆に1人だけ生存というルートも楽しめます。

 

この時期にマルチエンディング方式を採用しているのはすごいですね。

 

そしてマップを移動する際にドアが開くカットが挿入されます。

 

このドアが開くシーンには既視感を感じると思います。

 

その既視感の正体は『スウィートホーム』のスタッフが後のカプコンの大ヒット作の 『バイオハザード』を作ったからです。

 

スウィートホーム』で培ったノウハウが活きて世界でも有名なゲームになったわけですね。

 

映画は現在では観れなくなっていますが、ゲームの実況は探せばでてくると思うのでぜひ観てみてください。

映画人『黒澤明』監督について

こんにちは。

那由多です。

 

前回、北野武さん監督作品『座頭市』について書いた時に映画そのもののレビューもいいですが、映画に携わった人について書くのもおもしろいかもと思いました。

 

今回はその第一弾として『黒澤明(くろさわあきら)』監督について書いていきたいと思います。

 

映画人 黒澤明監督の生い立ち

黒澤明監督については映画をあまり知らない方でも名前を聞いたことはあるという人も多いと思います。

 

黒澤明監督は1910年に東京都で8人兄弟の末っ子として生まれ、1998年に脳卒中により死去しています。

 

戦時中に監督デビューをし、昭和の時代に活躍しました。

 

現在でも名前を知っている人がいる理由としては「羅生門」という作品でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を日本人として初めて受賞したからだと思います。

 

なのでヴェネツィア国際映画祭の話題がメディアで取り上げられる時には、今でも伝説的な監督として名前があげられて今でも認知されているというわけですね。

 

そんな黒澤明監督はなんと映画監督志望ではなかったようです。

 

18歳の時に二科展に入選し画家を志していました。

 

映画と関わるのはすぐ上のお兄さんの「須田貞明(すだていめい)」さんの影響が強かったようです。

 

昔はサイレント映画が主流だったので「弁士」という映画の映像に合わせて解説する仕事がありました。

 

この須田貞明さんはかなり売れっ子で、このお兄さんの影響で映画に興味を持ったようです。

 

26歳で画家では食っていけないことから映画監督の試験を受けて映画監督になりました。

 

黒澤明監督が映画監督として今でも語り継がれるのは上記のヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞だけではなく映画に対するこだわりもあります。

 

例えば、映像に映り込む雲の形が気に入らないと一日中待機させ、結局満足のいく雲の形にならなかったので撮影を中止しました。

 

また1948年の作品の「酔いどれ天使」は夏の設定の作品ですが、「夏の作品を夏に撮ると暑さを強調することを忘れる」ということで冬に撮影しています。

 

反対に、1954年の「生きる」という作品も冬の設定ですが、「冬の作品を冬に撮影すると寒さを強調することを忘れる」という理由で夏に撮影しています。

 

俳優さんたちは苦労したでしょうね。

 

そして数々の賞を獲得し、映画監督で初の国民栄誉賞を受賞し、1998年に亡くなっています。

 

黒澤明監督は周りに助けてもらわなければ存在しない監督だった?

黒澤明監督の印象は語り継がれる伝説だけを聞くと、天才で映画を作ることへのこだわりが強く、妥協を許さない人というイメージができると思います。

 

そういったイメージなので周りに迎合することや助けをもらわず己の才能1つで勝負してきたように感じるかもしれません。

 

しかし実際は監督になる時から周りの人の力を借りています。

 

上記の通り映画監督になる時に黒澤明監督は映画監督の試験を受けています。

 

この試験は戦時中には行なわれていたものだそうです。

 

当時は映画に対して政府からの検閲が入りました。

 

試験では作品を検察官や立会人の映画監督に観せて、映画監督として合格かの成否を出します。

 

検察官は黒澤明監督のデビュー作の『姿三四郎』について「米英的だ」と難色を示しました。

 

しかし立会人の『小津安二郎(おずやすじろう)』監督が「姿三四郎は100点満点として120点!」と言いました。

 

小津安二郎さんは当時から巨匠として有名な監督だったので、検察官もそれ以上文句を言えず晴れて黒澤明監督はデビューできたといいます。

 

そんな経緯で誕生した黒澤映画をぜひ観てみてください。